数年前のこと。
祇園祭の宵山に出かけることを母に言うと
占出山(うらでやま)のちまきを買ってきてほしい、とのこと。
家のすぐ近くに、別の山があるんだから
そこのでちまきでいいのでは???
と思いながら買ってくると・・・
そのちまきは、なんと!
当時、妊娠していた私のためのものでした Σ(゚Д゚)ノ!
占出山は、安産の神と言われる
神功(じゅんぐう)皇后が祀られた山、
ちまき(お餅は入っていなくて飾りのみ)は、
安産を祈願するものでした。
・・・だからって、本人に頼むのはどうなの!?
まっ、それは済んだことですけど、
そんな風に、山鉾にはそれぞれ由来があって、
祀っているご神体が違い、
山鉾にまつわる話も違います。
懸装品(けそうひん)と言われる山鉾の装飾品も、
重要文化財に指定されているものも多く
見どころ満載なんですよ(^^♪
現在山鉾は全部で33基ありますが、
その中のいくつかを紹介したいと思います。
もくじ
前祭(さきのまつり)の山鉾たち
7月17日に巡行が行われる前祭には、
23基の山鉾が参加します。
巡行の時には、重さが10トンを超すような大きな鉾は、
前祭で見られますよ。
長刀鉾(なぎなたぼこ)
巡行では、毎年必ず先頭を行く鉾。
現在ではこの鉾だけに、生稚児(なまちご)が乗り、
巡行中は町名が変わるたびに稚児舞が披露されます。
鉾頭(ほこがしら)は、疫病邪悪を祓う大長刀。
宵山では、ちまきを買うことで鉾に乗ることができますが、
今でも、女性の搭乗は禁止されています。
函谷鉾(かんこぼこ)
巡行の順番は、毎年全体では5番目。
秦の国から逃げる孟嘗君(もうしょうくん)が、
深夜、函谷関に到着したが、この関は、早朝に
鶏の鳴き声で開くところであったため、
家来に鳥の鳴き声をまねさせてみると
うまく門が開き、逃げ切ることができた、
という、中国の故事に由来を持った鉾。
鉾の前懸のタペストリーは、旧約聖書の
創世記の場面を描いた、16世紀末のベルギー製。
重要文化財に指定されています。
鶏鉾(にわとりほこ)
古代中国、堯(ぎょう)の時代、天下がよく治まり
訴訟用の太鼓が使われずに、苔が生え、
鶏が巣を作ったという故事に由来する鉾。
鉾の見送り(後方を覆う布)が有名。
16世紀ごろのベルギー製で、江戸初期に輸入されたもの。
トロイの王子が決闘に向かうために
妻子に別れを告げる図が描かれています。
月鉾(つきほこ)
鉾頭に新月型(みかづき)をつけているため
月鉾と呼ばれます。
屋根裏の草花図、前懸や錺(かざり)金具など、
装飾品の豪華さは山鉾の中でトップクラスです。
菊水鉾(きくすいぼこ)
町内に古くからある井戸、「菊水井」にちなんだ名の鉾。
会所では、7/13~16の4日間、日替わりで
表千家、裏千家、遠州流によるお茶会が開催されます。
現在の鉾は、元治元年(1864)の
「禁門の変」による大火で焼失したのを
昭和27年(1952)に復興されたもの。
続く29年に前懸、胴懸、30年に見送り、
38年に天井絵が完成するなど
京都の作家によって、年々装飾品が充実し、
「昭和の鉾」として存在します。
放下鉾(ほうかぼこ)
巡行は、全体の21番目。
鉾の名前は、放下僧の像を祀ることに由来します。
鉾頭は日、月、星の3つの光が下界を照らす形を示しています。
明治4年(1929)以降は、生稚児ではなく、
鉾上で稚児舞ができる操り稚児人形「三光丸」を乗せています。
女性の鉾内部への搭乗はできません。
船鉾(ふねほこ)
巡行は23番目で、前祭の最後を行く鉾。
「日本書紀」に出てくる神功皇后の新羅出船が由来。
「出陣」と「凱旋」の意味をそれぞれ持つ
2基の船鉾のうちの、出陣の船鉾で、
神功皇后、住吉明神、鹿島明神、
水先案内をつとめる龍神安曇磯良の
4体のご神体を乗せています。
皇后の神像は岩田帯を巻いて巡行し、
その帯は、祭の後に妊婦に授与され安産のお守りとされます。
保昌山(ほうしょうやま)
応仁の乱(1467)以前から存在する山。
平井保昌(やすまさ)が和泉式部に、紫宸殿の梅を
手折って来てほしいと頼まれ、警固の武士に
矢を射かけられながらも一枝を得て、愛を射止めたという逸話に由来。
ご神体は、平井保昌で、縁結びのご利益があり
女性やカップルに人気の山。
蟷螂山(とうろうやま)
カマキリが、自分の力もわきまえず大敵に立ち向かう勇猛さを
賞した中国の君子の故事に由来する山。
元治の兵火(1864)で大破したのを、昭和56年(1979)に再興。
屋根には、からくり仕掛けの蟷螂(カマキリ)が乗っていて、
子どもたちにも人気。
このからくりは、古くから人気があって、
洛中洛外図屏風など、祇園祭を描いた絵画には
必ずこの山が見られるそうです。
占出山(うらでやま)
新羅遠征に際し、神功皇后が肥前松浦でアユ釣りをし
戦勝を占ったという伝説に由来する山。
お腹に子を宿して出兵し、凱旋後に筑紫で無事に
応神天皇を出産したことから
安産の神様とされています。
くじ順でこの山の巡行が早い年は、お産が軽いと言われます。
ご神体の神功皇后の人形は、右手に釣竿、
左手に40㎝ほどのアユを持っています。
四条傘鉾(しじょうかさほこ)
Shijokasa Boko (四条傘鉾) posted by (C)MShades
応仁の乱以前に起源をもつ古い鉾の姿を伝える山。
明治4年の巡行を最後に姿を消していたが、
昭和60年に鉾を復興、63年に踊りと囃子を
復活させて巡行に参加。
傘鉾に欠かせない棒ふり踊りは、
室町時代に京都から広まった風流踊りで、
滋賀県の滝樹神社に伝わる「ケントウ踊り」を参考に
復元されたもの。
15、16日には、1日4度、会所前で披露されます。
後祭(あとのまつり)の山鉾たち
2014年から、49年ぶりに前祭と分けて、
7月24日に巡行が行われる後祭には
10基の山鉾が参加します。
橋弁慶山(はしべんけいやま)
後祭の巡行の1番目。
謡曲「橋弁慶」に由来する山で、
牛若丸が太刀を持って欄干に飛び上り、
弁慶は鎧姿で太刀を斜めに構えている場面。
500年以上前に作られた人形で、牛若丸は
足駄(あしだ=歯の高い下駄)の金具1本で
支えられていて、製作技術の高いもの。
北観音山(きたかんのんやま)
橋弁慶山に次いで2番目。
山に立てる松の木は、毎年鳴滝から2本届けられ、
南観音山と北観音山の代表がクジを引いて選びます。
江戸時代には南観音山と隔年交代で巡行していたが、
明治以来どちらも毎年出ることになりました。
鯉山(こいやま)
黄河龍門の滝を登った鯉は龍になるという中国の伝説、
立身出世を意味する「登龍門」の言葉を表している山。
ご神体の木彫りの鯉は全長1.5mもあります。
山全体を飾る前掛、胴掛、水引、見送は
1枚のタペストリーを裁断して用いられています。
16世紀のベルギー製で、
イーリアス物語の一場面を描いたもの。
世界的に見ても重要な文化財です。
大船鉾(おおふねほこ)
元治元年(1864)の蛤御門の変により一部を残し焼失。
2012年に、ご神体を入れた唐櫃(からひつ)という形で、
山鉾巡行に復帰しました。
後祭の山鉾巡行の最後を行く鉾で、
前祭の「出陣の船鉾」に対して、
「凱旋の船鉾」と呼ばれています。
再建された大船鉾は、2014年に巡行に復帰しますが、
懸装品の復元や新調は、今後少しずつ行われるそうです。
最後に・・・
それぞれの由来を知ると、
山鉾を見る目も違ってきますね~
ところで、巡行のくじ順が早いと
お産が軽いと言われている占出山ですが、
2010年は、くじ順があまり早くなかったんです。
ちょっと心配しましたけど、
ちまきのおかげか、無事、安産でした(^^♪
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